マルコ10・45

「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです」(マルコ10・45)。上の者が下の者に仕え、正しい者が正しくない者に愛を表す。主はその模範を示すために、自らの命を捧げになりました。だからこそ、多くの人を感動させ、人を造り変えたのです。当然のことをしていても、人は驚きません。