イザヤ57・15b

「わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである」(イザヤ57・15b)。
心砕かれた人は祈ります。祈ることはへりくだりの表現です。逆に、祈ろうとしないことは高慢です。それは「主の助けがなくても、自分の力でやっていける」という意思表示だからです。主は、心の打ち砕かれた人を用いられます。