旅の報告

車中泊での旅には、その期ごとに夫婦の中で「テーマ」のようなものが自然に発生します。不思議なことに毎回、コレだ!と燃えて、旅の内容も毎回違います。

 今回は、アブラハムへの神の命令「行け(レフレハー)」の実践でした。神は良いお方であると信じる信仰の実践。良いお方に「行け」と言われたのだから、ただ行けばいい。どこへ?とか、どうやって?とか、どのように?を捨てて、このままで行く。そして祝福になることを体験するという信仰です。

 今回の西日本と九州の旅は、各地で過越の祭り(ペサハ)を祝う旅でもありました。

 イスラエル理解は、イエス・キリストの十字架と復活によって加えられた、この生き方(信仰)を正しく理解するのに有益です。無視するなんてもったいない。神がイスラエルに与えた律法や祭り、言語や文化には、その型と教えが詰まっていて、神に喜ばれる良い生き方とは?を学ぶ近道であると思います。特に大切なのは、子どものための祭りであるということ。お願いされても、子どものいないところでは祭りはしません。本質を外しているからです。

 私たちが祭りを祝うのは、後の世代に、神がどういう方で、私たちはなぜこの生き方をするのか?そのストーリー(アイデンティティ)を継承するため。それによって大人たちも、神に対して「私が」どう生きるか?という自己中心的な信仰ではなく、神に対して「子どもたちが・共同体が」どう生きるか?を信仰の中心として形作ることになります。

 祭りには、その生き方の基準や、価値観を、言葉で説明・理解するより先に、体に覚えさせる感覚があります。

面白いことに、初めて祭りに参加した時には、そんなもの微塵も感じられませんでした。ただ楽しい、美味しい、幸せ、だけ。こども向けのおままごとのような祭りを、大人が真剣にやっているのが滑稽にさえ感じられました。ところが繰り返すうちに、埋まっていた宝をたまたま掘り当てたような衝撃が・・・自分の中に築かれていくアイデンティティと聖書(イエス)とのリンクに気がついて、その美しさに驚くのです。子どもたちがルーツを辿り、解放の喜びを擬似体験することで、土台が硬く作られて安定し、神と共に生きる喜びが自然と身に付く。  今回は各地でその恵を分かち合いました。