無責任な戦争

今日はヒロシマ原爆記念日です。日中戦争から広島・長崎の原爆によって太平洋戦争が終結する(1945)までの8年間で、日本の戦没者だけで310万、そして最後の1年だけで200万人近い死者を出しました。

1944年6月サイパンがアメリカに占領され、軍事的な勝敗は決しました。大本営でも敗戦を悟った参謀は東条英機首相に終戦に向かって工作するよう進言しましたが、東条はこれを拒否して彼を罷免します。「生きて虜囚の辱めを受けず」を命じた首相ゆえ、敗戦を認められなかったのです。翌7月、終戦を目指す天皇側近の重臣たちは、東条内閣を総辞職に追い込みました。しかし、それでも終戦の決断ができないまま戦死者を出し続けました。フィリピン敗走で50万が戦死。45年2月「敗戦は必至」と天皇に戦争終結を提案するも、指導層は決断しませんでした。その時点で降伏していれば、大殺戮となった東京大空襲も沖縄戦も原爆もなかったのです。

 敗戦が決定的になったのに、さらに200万近い犠牲者を出してでも、なお戦い続けなければならない理由は何だったのか。なぜ、神風が吹くという途方ない迷信を信じたのか。

終戦後、誰も戦争責任をとりませんでした。そもそも戦争中、誰が政策を決定していたのかも不明瞭なのだそうです。ですから、天皇も責任をとらず、政治家や軍人らも「戦争は望んでいなかった」という発言を繰り返しました。そして今日の日本人も、遠い過去の世代が犯した愚行で、我々とは無関係であるかのような顔をしています。

暑い8月を迎えるたびに、私たちは民族としても個人としても悔い改めを新たにすべきです。傲慢と野心と意地と虚栄と妬みと保身のために、時にはそれを善と信じて、大罪を犯してしまうのが罪人です。自分の内にある罪の性質を認め、正しい方向に転換しなければ、民族としてまた同じ悲惨な歴史を、個人としても愚かな生き方を繰り返します。私たちは、一体いつまでこの愚かさを続けるのでしょうか。