究極のゴール

「私たちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造り変えられていきます。これは主の霊の働きによることです」(新共同IIコリント3・18)。

主の栄光の姿に変えられること、これが私たちの人生のゴールです。神の国の豊かさと栄光を現すこと、これが教会のゴールです。このゴールを見失ってはなりません。

  学業や仕事や家庭で成功することは大切ですが、それ自体が人生のゴールではありません。たとえそれに成功しても、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造り変えられていかないのなら、ゴールを外しているのです。逆に失敗しても、主と同じ姿に造り変えられることは可能です。つまり、学業や仕事や家庭生活で失敗しても、人生そのものに失敗したわけではなく、クリスチャンとして成功できるのです。主と同じ姿に造り変えられることこそ、人生の成功です。私たちはこの究極のゴールを絶対に外してはなりません。

  究極のゴールを目指して、もちろん学業や仕事や家庭においても成功すべきです。たとえば、学業で成功するとは、知識を蓄え、それを生かす正しい価値観と思考能力と判断力を高めることです。人に勝つことではありません。人に勝つことをゴールにすると、傲慢か卑屈や嫉妬心を背負い込むことになります。仕事や家庭のゴールも同じです。

  何をなすにしろ、ゴールの設定を間違えないこと、それから逸れた努力はしないこと。でないと無意味なストレスや争いを引き起こします。

  GCCは会堂取得を目指しますが、それは教会の究極のゴールではありません。それは究極のゴールのための手段であって、一段階のゴールであることを忘れてはなりません。でないと、立派な教会堂は取得したが、教会は分裂したということになりかねません。栄光から栄光へと、主と同じ姿に造り変えられていくことが、私たちのゴールであることを絶対に外さないようにしましょう。