日高敏隆さんは、小学4年のとき、登校するたびに校長から「お前は役に立たないから早く死んでしまえ」と言われ、気が変になりそうでした。2、3ヶ月悩んで父親に苦しみを打ち明けましたが、「先生の言うとおりだ」と言われ、ついに学校をずる休みするようになりました。戦争中の話です。彼は体が弱くて、兵隊にはなれそうになかったのです。
不登校になった敏隆少年は、家の近くの原っぱで芋虫を見つけては、「おまえ、いったいどこへ行くの」と問いかけていました。もちろん返事はしないので、行き着く先まで見届けて、「ああ、そこに行きたかったのか」とつぶやくのです。そうして、虫と心が通じるような気分になり、「昆虫学者になれば、何とか生きていける」と思うようになりました。
それを父に打ち明けましたが、「ならば勘当する」と言われて失望し、自殺を考えるようになりました。それを察知した担任教師が、父親に「昆虫学をやらせてやってください」と頼んでくれました。先生の気迫に押されて、父親も思わず承諾してしまったそうです。
日高さんは動物学者になった今も、動物を見ると「どこへ行くんだ」問いかけるといいます。「どこへ行くんだ」とは、日高さん自身への問いかけであろうかと思います。
神に反逆したアダムに、主は「あなたは、どこにいるのか」(創世記3・9)。ハガルに「あなたはどこから来て、どこへ行くのか。」(創世記16・8)ダビデが、「どこへ上るのでしょうか。」と聞くと、主は、「ヘブロンへ。」と仰せられた。(IIサム2・1)
「兄弟を憎む者は、やみの中におり、やみの中を歩んでいるのであって、自分がどこへ行くのか知らないのです。やみが彼の目を見えなくしたからです。」(Iヨハネ2・11)。
「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」(ヘブル11・8)