個別指導

自分の能力に合った勉強法、自分の体にあった運動法や健康法、自分の肌と顔に合った化粧法などを、個別に教えてくれる・・・今は、そんなプロの個人指導に頼る時代なのだそうです。個人個人みな異なるので、個別に対応しようというわけです。それは確かに効果的ですが、問題もあります。自分で自分のことを考えなくなってしまいます。

 「社会が成熟すると、人間は成熟しなくても生きていける。社会が成熟すればするほど、人間は無能力になり、幼稚になっていく」と、阪大副学長の鷲田清一さんが説いています(日経061102夕刊)。社会が未成熟な時代は、お産、しつけ、結婚、老人の世話、死の見取り、葬儀、埋葬まで、以前はすべて自分たちでこなしてきましたが、今は病院、学校、公共施設に頼り、自分で自分の命を世話する能力を失ってしまいました。何も知らなくても、お金さえ出せばすべてを社会のシステムに任せることができ、専門職の人たちがすべてをやってくれます。自分のことは自分一人でできるという人は、一人もいなくなってしまいました。鷲田さんは、現代人は子供化していると説きます。

 現代は、自分の生き方について考えなくてもいい、思考停止でもいい、信念がなくてもいい、人間観、人生観、世界観など曖昧でもいい・・それでも生きられてしまう時代です。しかし、そんなぼやけた人生を送るために、私たちは生まれたのではありません。霊的に大人になって、自分の生き方を自分でしっかり考え、人生の焦点を定めなければなりません。

ここに聖書の神が三位一体である意義があります。つまり、主は、人生を導く神の言葉=聖書を与えてくださっただけでなく、イエスという「人間の模範」を示し、また個々人に対して個別の指導をすべく、一人一人に聖霊を与えてくださいました。三位一体の神は、信じる者には、意義のある尊い人生を生きられるように、万全の態勢で助けてくださいます。私たちは、三位一体の神の祝福を全身で受け取るべきではありませんか。