威厳ある動き

「氷山の動きが持つ威厳は水面に出ている8分の1によるものだ」。名作『老人と海』で知られるヘミングウェイの言葉です。もちろんその威厳を支えているのは、海面下の「8分の7」のずっしりした部分です。その重みがなければ、氷山も軽薄な動きになることでしょう。少し風が強く吹いただけで、軽々流されてしまいます。しかし、その部分は見えていてはならないのです。

 『老人と海』は、そのとおり、「基本英語を使い、形容詞を極力排した単文の羅列で構成される。いわば最小の言語で最大の意味を表現するアート」なのだそうです(野中郁次郎)。8分の7は見えないようにした文体です。

 私たちも、自分の「8分の1」で互いに出会っていると言えるかもしれません。でも、その「8分の1」が、目に見えていない「8分の7」をけっこう雄弁に語っています。つまり、毎日のデボーションをどのようにしているか。御言葉をどのように学び、身に着けているか。どのように深く祈り、主と交わっているか。聖霊に満たされているか、をです。

 クリスチャンとして、良い行いをしようと、クリスチャンなら誰もが思うでしょう。しかし、その良い行いは、その人の「8分の1」です。目に見えない「8分の7」の部分である神との交わりが十分でなければ、単なる義務的な道徳的な行いになってしまいます。同じ良い行いでも、見えていない水面下の重みで異なるのです。

 隠れた部分での主との交わり、忍耐、霊的訓練が、目に見える人格成長として現れる日が来ます。でも、主はいつも隠れた部分を評価なさるのだ、ということを忘れないでいましょう。
 「あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます」(マタイ6・4)。