「健康でありたいという意識は高いが、そのため何をするか、行動面はそれほど意欲的ではない。」それが日本人の健康観である、と新聞にありました。健康に気を遣う割には、時間や労力を割こうとはしないのです。皆さんは、不摂生、運動不足を続けていながら、「まだ大丈夫だろう」と根拠なく確信したり、「健康に注意してガンになる人もいれば、飲酒・喫煙、運動不足なのにどこも悪くない人もいる。自分は後者だ」と勝手に思いこんだりしてはいませんよね。それは、「漂流して助かった人もいるから」と、小船で太平洋を渡るようなものです。もし健康に不安があるなら、生活習慣を変える決断をすべきです。
現代日本人のさらに深刻な問題は、「生きがいのある人生を送りたいが、そのため何をするか、行動面はそれほど意欲的ではない」ということです。無意味、無目的な人生は送りたくないはずなのに、希望が持てず、とりあえず目の前のことに時間と労力を使っています。「石もて蛇を殺すごとく」、無気力な循環を断ち切る勇気が必要なのです。
そして今、人類が直面している最も深刻な問題は、CO2排出量増加による地球温暖化です。世界的食糧・水不足、紛争・難民続出、日本では東京、大阪、名古屋で1000万人の住居が沈むと予測されています。にもかかわらず、「自分の生きている間は大丈夫(ヒゼキヤ症候群という)」「まだ先のこと」と、全世界が本気で足並みそろえて削減に取り組んでいません。米中を筆頭に、垂れ流しの大量消費ライフスタイルを思い切って変えない限り、文明衰退は免れません。
私たちは、ついに何も決断しないまま終わってしまうのでしょうか。まるでノアの時代のようです。ただ、突然滅びが臨んだノアの時代とは違い、私たちの人生や時代は、危機が見えていて、行き着く先がわかっているのです。わかっていながら、何もできないというのは、なんとも悲しい罪人の姿ではありませんか。
「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1・15)。もう一度、キリストの宣教の第一声に立ち返るべきです。