愛は礼儀に反しない

あなたは、ビルやお店の(自動ではない)ドアの開閉をするとき、後ろの人を気にしますか。閉めたときのドアがスウィングして、後ろの人にぶつからないように手で押さえて開けたままにしてあげますか。それとも無頓着ですか。

 若い頃、開けたまま待つ人たちから、その礼儀を学びました。自分も人にそうしてあげると、軽く「ありがとう」という言葉が返ってくる環境でした。その中で、おのずから習慣づいたのだと思います。

 しかし、今の首都圏で、この習慣は身につくには、もう少し人数の割合が足りないように思います。まったく後ろを見もしないで、たわんだ枝をはね返すように、ドアをぶつけてくる人のほうが多い印象です(本当にぶつかってメガネが外れて落ちた人もいました)。こちらが開けて押さえていると、「ああ、すみません」と過剰に恐縮する人も少なくありません。それは逆に言えば、当たり前の気配りではないということを意味しているのかもしれません。しかし、ドアを押さえている私には目もくれず、傲然と通り抜けていく「VIP級」の人たちもけっこういます。私をドアマンと間違えているのでしょうか。

 概して、知り合いの間では気配りしても、知らぬ人たちには余計なことはしないという主義、自分の得にはならない親切はしない(徳にはなるのですが)主義が目立つ社会です。

 だからこそ、気配りをしましょう。「愛は礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず」(Iコリント13・5a)です。開けてくれたら、自分でドアを押さえて「ありがとうございます」と会釈しましょう。「すみません」より「ありがとう」のほうが、気持ちがよく、相手を励まします。また、たとえ「ありがとう」が返ってこなくても、気配りは続けましょう。「(愛は)怒らず、人のした悪を思わず」(5b)です。