札幌農学校に招聘され、生徒たちにキリスト信仰を植え付けたW.クラークにこんな逸話が残されている。
1877(明治10)年1月30日、51歳のクラークは、17、8歳の第一期生16人を連れ、厳寒で積雪量の多い札幌の手稲山(1023m)に登った。彼はマサチューセッツ農科大学の学長であるが、学問だけでなく、南北戦争に従軍し、戦功を立てたほどの文武両道の人である。危険の伴う登山に戸惑う生徒たちの先頭に立って進んだ。途中ふと、雪に覆われた大木の前に立ち止り、その梢を見上げて言った。
「夏なら登れない大木だが、冬なら天辺にまで届くことができる。見なさい、あの梢に珍種のコケ(地衣類の一つ)がついている。今が、それを採集できる絶好の時だ。」
そして、背の高い一人の生徒に命じ、自分の肩に乗って取らせようとした。「三尺下がって師の影を踏まず」という時代である。その生徒は躊躇したが、クラークは強いて長靴を履いたまま上がらせた。後でわかったことだが、その日、そのようにして採集したものの中には、新発見のコケも含まれていたという。
しかし、下山は激しい雪となった。北海道の冬山は愚か、登山自体が初体験という生徒たちがほとんどである。クラークは、山中で立ち往生する生徒たちのしんがりとなり、励ましかばいながら下山した。そして、麓の民家で馬を雇って、生徒らを全員無事に帰校させたという。現代なら、家族やマスコミから「無謀だ」と非難ごうごうであろう。
登山は、自然観察が目的の一つであった。クラークは、そのためには何にもこだわらない精神を発揮した。心身の鍛錬も目的の一つだった。危険も緊張もまるでないところでは鍛錬されない。多少無理だと思われることにチャレンジしないと、新しいことは起こらないし、心も燃えない。クラークは先頭に立った。わずか9か月弱の教鞭で、彼が当時のどの外国人教師や宣教師よりも大きな影響を残したゆえんである。