耳を塞ぐな

電車に乗ると、イヤフォンをしている人が目立つ。2メートル離れていてもガチャガチャと音が聞こえてくることもある。耳から入る情報をシャットアウトしている状態である。

耳の不自由な人は外出する時、健常者より注意深くなる。周囲や背後に対して気配を感じ取る感覚が鋭くなる。しかし、イヤフォンをして歩く健常者には、そんな注意深さや感覚はなさそうだ。そのため、かなり無防備状態になっている。引ったくりにはいいカモなのだそうだ。変質者に後を付けられ、気づかずに自宅の中まで入り込まれた事件まで発生している。悲劇だったのは、今年、東京のJR東中野駅ホームで起こった事故である。早稲田大学大学院生が総武線の電車と接触し、死亡した。新聞によると、学生はイヤフォンをしてラジオを聞きながら歩いており、後方から進入してきた電車に気づかなかったという。電車の音も注意を喚起する構内放送も、自分で遮断していたのだ。加害者側になればもっと大変だ。イヤフォンをしての自転車の衝突事故で、相手を死亡させるケースである。イヤフォンを使う人は、時と場所に十分注意して楽しんでほしい。

視覚が及ぶのは、せいぜい前方の視界180度までである。通常は何かに焦点を合わせているので、きわめて狭くなる。その点、聴覚は360度をカバーできる。全方位感覚である。それを自ら遮断してしまうのは、なんとも危険ではないか。

自分で耳を塞いでおいて、知らなかったでは済まされない。

それは、私たちの「心の耳」に対しても言えることだ。主は語り続けておられる。聞こうと思えばいつでも御言葉は聞ける。主は勧告も警告もなされる。今必要な助け、ビジョン、進むべき道も語られる。「わが子よ。私のことばをよく聞け。私の言うことに耳を傾けよ」(箴言4・20)。主イエスも、たびたび「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われた。だから、イヤフォンを外して、主の語りかけを「聞く耳」の状態にしておこう。