「聞く」100221

人の話を聞いてあげることは大切です。

ある教会員の方がかしこまって、私に言われました。「私には、これだけは牧師よりも勝っていると言えることがあります(ずいぶん謙遜な言い方です)。それは、人が百回同じ話をしても、初めて聞くかのように聞いてあげられることです。」確かに、私はその方の足元にも及びません。知り合いの牧師に話したら、「それは、スゴイ!偉いよ、その人は。私は2回が限度だよ」と絶賛してくれました。

ペテロがキリストに、人を赦すのは「七度までですか」と尋ねたとき、「私は、七度を七十倍するまで、と言います」と答えられたことが思い出されます。愛は親切、忍耐、寛容です。

ユダヤ教のタルムードにこんな話があります。

妻との関係が悪くなった男性がラビに相談に来た。ラビは「奥さんの話す言葉に耳を傾ける術を身に付けなさい」と忠告した。一か月後、男は再びラビを訪問した。「ようやく妻の言葉に耳を傾けられるようになりました。」すると、ラビは「では、これからは奥さんが語らない沈黙の言葉のすべてに耳を傾けてご覧なさい。」

 妻の沈黙の言葉が聞けるようになったら、次の課題は「その沈黙の言葉に、沈黙のうちに応えてあげなさい」でしょう。(「妻には沈黙の言葉はない」というオチではありません)。

 「聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい」(ヤコブ1・19)。そして、人の話す言葉も心の奥の言葉も聞くことができ、それに応えていけたら、人間関係はどんなに改善されることでしょうか。

 主は聞き上手です。間違いなく私たちの祈り、賛美、叫びを聞いておられます。もちろん心の奥の声も聞いてくださっています。それゆえ私たちも、打ち砕かれた心で、主の声に耳を傾けましょう。