「挨拶」から実践しよう」100516

御言葉を学び、調べ、覚え、思い巡らし、実践することが、私たちを造り変えていきます。そこに聖霊が働いてくださるからです。すべてはキリストの愛の実践です。しかし、その実践は具体的であるべきです。でなければ、愛が行いとして身につきません。行いが身について習慣となり、習慣はやがてその人の品性にまで高められていきます。

まず最初は、挨拶の実践から始めましょう。何事も挨拶から始まるからです。
新約聖書の書簡も、挨拶から始まっています。

1) 会う人ごとに、自分のほうから率先して、祝福の挨拶をしよう
ローマ1・7 「ローマにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安があなたがたの上にありますように。」
「おはよう」「こんにちは」「ただいま」「おかえりなさい」の挨拶を、「この方に主の恵みと平安があるように」と祝福をこめて致しましょう。この「恵み」は、主が十字架上で成し遂げてくださった救いの恵みです。この「平安」は、主が私たちのために残された平安です(ヨハネ14・27)。相手の顔を見て、愛と祝福をこめて挨拶しようとすれば、自ずから笑顔になります。主イエスも「その家に入るときには、平安を祈るあいさつをしなさい」(マタ 10・12)と命じられています。
相手に祝福が注がれることを願う祈りは、ときに相手を聖霊で満たすことがあります。そう信じて、祝福し続けましょう。
「エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、子が胎内でおどり、エリサベツは聖霊に満たされた」(ルカ 1:41、44)

2) 名前を呼んで挨拶しよう
「キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください」(ローマ16・3)
できるだけ人の名を覚えて、名指しで挨拶できるように、努力しましょう。自分の名を覚えてもらっていることは、嬉しいものです。大切に考えてくれていると感じます。パウロに名を呼ばれて挨拶された人は、本当に嬉しかったことでしょう。ローマ書16章は挨拶の章です。パウロは、30人ほどの名をいちいち呼んで「よろしく」と伝えています。いかにパウロがひとりを大切にしていたかがわかります。

3) 苦手な人にこそ挨拶しよう
「また、自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませんか」(マタイ5・47)
家族、教会の兄弟姉妹、友人はもちろん、教会に初めて来られた方に、主からいただいた笑顔で歓迎の挨拶をしましょう。日ごろ、ちょっと気まずくなっている人、疎遠な人にこそ、気負わずに試みてください。そのひとことが、関係を回復していきます。仲違いした人、「私を嫌っているのではないか」と思われる人にも、勇気を持って会釈でもしてみましょう。返事がなくても、それで当然、不愉快にはならないぞ、と心に決めておけばいいのです。返事が戻ってくれば、「ハレルヤ」です。新しい兄姉を得ることにつながります。

アメリカ留学して寮住まいだったとき、私のルームメイトはナイジェリア人でした。同じ寮の一人の白人は有色人種を蔑視しているようで、私たちが挨拶しても見向きもしませんでした。私は不愉快でした。しかし、ルームメイトのほうは、いつも笑いながら声をかけていました。そして数ヵ月後、ついにその白人のほうから、名指しで彼に挨拶したのです。私は、その白人が通り過ぎるのを待って、彼と向き合って快感の大笑いをしました。以後は、互いに普通に挨拶をするようになりました。兄弟を得たのです。