Iテサ5・16〜18

「いつも喜んでいなさい」(Iテサロニケ5・16)。今年、この言葉に徹しましょう。キリストの十字架は、不遇をも喜ぶ自由と力を与えます。主は、主を喜ぶ人の味方です。主が味方してくださる人には誰も立ち向かえません。喜ぶことは人を健康します。人間関係を改善します。苦しみの時、喜ぶ心は人生を破壊から守ります。喜べないような事態にあっても喜べる人には、祝福が追いかけてきます。(60101)

「絶えず祈りなさい」(Iテサロニケ5・17)。今年も祈りに徹しましょう。息をしなければ窒息します。祈りは呼吸です。祈らなければ信仰が窒息します。信仰が窒息すれば、希望も喜びも止みます。暗闇が覆います。停電になった真夏の冷蔵庫のようになります。ですから、絶えず祈りましょう。人はすべてを失っても、この地上を去る日まで、祈る時間と力だけは残ります。今そこで祈りましょう。(60102)

「すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」(Iテサロニケ5・18)。当り前のことを感謝できなければ、どんな幸いも感謝できません。どんな幸いもすぐに慣れて、当り前になるからです。感謝しない人には、神も祝福し甲斐がないでしょう。感謝する人に祝福が増し加わります。喜べ、祈れ、感謝せよ。これが主の願いです。(60103)