「福島は、放射能だけではなかった」。南相馬の原町聖書教会石黒牧師の案内で、津波による被災地域を回りながら、そんな当たり前のことを思わされました。震災から5か月たち、破壊された民家や瓦礫の撤去はほとんど終わり、平地が海まで遮るものなく広がっていましたが、海岸から2.5km込んだ幹線道路沿い辺りに、まだ大小何十隻という漁船が散乱している光景は異様でした。
しかし、瓦礫撤去が終わっても、福島は復興が始まるわけではありません。やはり「フクシマは放射能であって、津波だけではない」のです。原発から20km内の「警戒区域」の検問所には、全身を覆う防備服に、ヘルメット、マスク、手袋姿の警察官が数人、赤く点滅する警察車両とともに、炎天下に立ち続けていました。その境界線で風景が一変するわけではないし、放射能値が激変するわけでもありませんが、明らかにそこから先は何かが違っていました。家々はあっても、人が住んではいないのです。
「警戒区域」境界線をまたぐ南相馬市は人口6.8万人ほどです。原発事故とともに5.5万人が退去しました。今は3万人が戻って来ましたが、子供や若い人たちはほとんどいません。彼らはもう戻ら(れ)ないでしょう。
日本は、一過性の台風、火山爆発、地震のどんな大災害にも、あるいは戦災にも耐えて、復興を成し遂げてきました。しかし、今今回の福島だけは、違うと思わされました。原発事故はいつ終息するかわかりませんし、放射能の影響は何十年と続きます。確かな復興の未来が見えないのです。
今回、福島県内の4~5件の教会を訪問しました。どの牧師さんも、「福島は解体するだろう」ことは否定なさいませんでした。実際、彼らが関わっている現実は重苦しく、やるせないものです。しかし、彼らは福島に残り(れ)ました。残ったからには、みな福島に熱い思いを抱き、福音宣教の希望と使命を持っておられました。それは牧師ごと、地域ごとに異なり、聞く私たち(7にん)はさまざま示唆と励ましを受けたのです(続)。