由紀さおりと日本語

中学生のとき、由紀さおりの歌「夜明けのスキャット」が大ヒットしました。私もその澄んだ声に魅了されたひとりです。大学生になり、初めて買ったレコードが由紀さおり全集でした。あれから45年、いま、彼女の歌声が北米や英国を中心に人気を博し、名立たるプロにも絶賛され、コンサート会場は満員になるのだそうです(NHK「クローズアップ現代」)。多くの日本のアーティストが欧米で受け入れられようとしても成功しない中で、彼女は日本語のままで欧米人の心をつかみました。自然を見、季節に触れて感じることは万国共通です。その共通のものを日本語で情感豊かな声で歌えば、言葉は通じなくても共感できるということです。

日本語は音節が多く、ヨーロッパ言語のように一つの小節にたくさんの単語を載せられません。たとえば賛美歌「驚くばかりの」の1番は英語でこうです。“Amazing grace how sweet the sound That saved a wretch like me. I once was lost but now am found, Was blind but now I see”.

日本語に直訳すると、「驚くべき恵み、なんと心地よく響くことか。この恵みによって、私のような惨めな者も救われた。私はかつて失われていたが、今は見つけ出された。目が閉ざされていたが、今は見える」(拙訳)となります。しかし、日本語の1番は「驚くばかりの 恵みなりき この身の汚れを 知れる我に」です。

私は、日本語は言葉足らずだと思っていました。しかし、由紀さおりは、日本語の言葉の少なさと、母音で終わる響きの高まりで人々の心をとらえました。日本語は言葉が足らない分、言葉を選び、一語に心を込め、大切に表現するのです。俳句がそうです。逆に言えば、欧米は説明しすぎ、しゃべりすぎですね(西欧の哲学や神学は本当に理屈っぽく、饒舌でうんざりします。という私も?)。日本人は、言葉を重ね、説明し尽くせばわかるという民族ではないようです。

聖書についても、そうなんだろうと思います。