脳の本性

「『なぜ生まれ、何のために生きるのか、死ねばどうなるのか。』この問いに、科学は答えられない。だからといって宗教を求める気にもならない。考えても答えの出ないことは考えない。そんなことで時間を浪費しない。」

それが、1987年ノーベル化学賞を受賞した利根川進さんの立場です。彼は、この世界の諸現象も、心の活動も、すべては脳の中で起こっていることであり、脳の化学的研究ですべてが解明できるようになると考えます。現代の脳学者たちに共通した考え方です。

「では、脳がなくなってしまった場合、世界は存在しているのかいないのか」という質問に対し、利根川さんは「それは脳の能力を越えていることだからわからない。わからないことは考えないようにしている」と答えています。

つまり、脳にはわからないことがあるが、人間にとっては脳がすべてである、だから脳の力の及ぶ範囲だけで脳を使うというのです(と、利根川さんの限界ある脳は判断したのです)。

しかし、その立場は脳の本性に反していると思います。というのは、脳には脳の限界を越えた存在を求めようという性質が備わっているからです。脳には自分を越えた世界への強い憧れがあります。それと出会うまで、どこまでも求め続けようとする強い欲求があります。その脳の本性を、脳は押さえ込んではならないと思うです。

脳が求めているもの、それは脳を造られた方です。この方に出会うまで、脳は求め続けるように造られています。脳の創造主が、そんな本性を脳に付与されたのです。

ヤコブは、孤独な旅の夜空の下、岩だらけの沙漠で、「まことに(創造)主がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった」(創世記28・16)、という体験をします。

現代の「脳」も、そんな体験をすることができるはずです。