先週、大飯原発がついに再稼動しました。若狭湾には他に高浜、美浜、敦賀と計4つの原発があり、私の郷里は大飯原発から直線で30km、若狭原発からは20kmほどです。峠で隔てられてはいますが、丹波丹後の山は低く、事故が起これば居住できなくなります。昨年秋帰省した際、美浜原発を見学しました。福島の惨状にもめげず、「原発は最も安全で、最もクリーンな電力源です」という説明が繰り返されていました。
先月、郷里の友人、知人に再稼動について意見を聞いてみました。私の郷里は原発の即地元ではないので、恩恵は何も受けません。意外なことに、強く反対を唱える人はほとんどいませんでした。「電力供給を考えると止むを得ない」「福島の悲惨さをテレビで見ても、体験してないのでぴんと来ない」「考えてもどうにもならない」という答えばかりでした。賛成ではないが反対でもない、今までどおり何とかなるだろう、という思いなのでしょう。
ただ、近所の老人が、1927年に丹後半島で起こった大地震のことを話してくれました。「もう80年たって、みんな忘れてしもとるけど、ここら辺りでも大地震は起こるさかいの」。農村地域なのに約3千人の死者を出すほどの規模でした。
安全確認は不明瞭、避難地の確保はなく、不安を抱えながらの再稼動。事が起こったらだれも責任を取りえない大惨事になることだけは明らかです。それでも、目の前の必要だけで、夏を目前に見切り発車の格好になりました。「良くはないが仕方がない」と、責任ある決断や選択をしないのは、今の日本人の生き方そのものなのかもしれません。
ところで、日本基督教団はすでに「再稼動反対、廃炉」を表明しましたが、日本福音同盟(新生連合も一員)は、原子力利用について無批判であったことを悔い改めただけで、「簡単に結論付けることには困難を覚える」と明言を避けています。どっちつかず(I列王18・21)なのが残念です。