物を考えるのが面倒になってはいませんか。体を動かすのが億劫になっていませんか。考えるのも体を動かすのも脳に働きですが、その脳が怠けたがり屋なのだそうです。脳は放っておけば、動くこと、考えること、記憶することを止め、眠りたがるのです。しかし、眠った脳を起こし、さび付いた脳に鞭打って活性化させ、脳にひとたび快感を体験させれば、覚えること、考えること、からだを動かすことが喜びになってきます。
私たちの霊性も同じです。放っておけば、眠ろうとします。礼拝することや祈ること、聖書を学ぶことが億劫になってきます。「聖霊の導かれるままに任せる」「恵みにより頼む」などと言いながら、祈らないのです。祈らなくても、御言葉に学ばなくとも、主の恵みで助けられるという勝手な信仰で、怠け者になってしまいます。しかし、あの偉大な使徒パウロでさえ、自分に鞭打って御言葉に従い、祈ったようです。パウロはこう言っています。「私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです」(Ⅰコリ 9・27)。そうしなければ、霊がうとうとするのです。
霊は、常に刺激を受けなければなりません。日頃から、声に出して賛美しましょう。祈るのが億劫になったら、立ち上がって、主の祈りを口で唱えましょう。聖書を読んでも集中できなくなったら、人に聖書を読み聞かせるつもりで、朗読しましょう。自分で何か工夫をし、自分に課題を与えて、霊を活性化するのです。
夏も終わりの季節、疲れや暑さのせいにして、脳も霊も眠らせたくなります。年齢を理由にして怠けたくなります。しかし、放っておくことが長引けば、さび付きます。過度に鞭打ってはなりませんし、単なる禁欲主義にはまってもなりませんが、私たちが動き出せば、聖霊が助けてくださいます。そう信じて、最初の一鞭を打つのです。