19世紀の英国に無神論者で名を馳せたチャールズ・ブラッドロー(1833-91)という政治家がいました。貧しい家庭で育ちましたが、教会では若いうちから子どもたちに聖書を教えていました。ところが、福音書の矛盾に気づき、そのことで校長と衝突して、教会を離れてしまいました。以後、政治の世界に入り、無神論の立場で教会を攻撃するようになりました。
あるとき、ヒュー・プライス・ヒューズというクリスチャンに、キリスト教が真理だと主張していることが正しいかどうか討論しようと、挑戦状をたたきつけました。ヒューズは、ロンドンのスラム街で貧しい人たちを次々と救いに導いていた人でした。ヒューズは、ひとつだけ条件をつけることに同意してくれるなら挑戦に応じる、と伝えました。
その条件とは次のようなものです。「互いに自分が信じていることの正しさを証明する具体的な証拠を持ち寄ることを提案します。私は、自分が伝えているキリストの福音の影響で、罪や恥辱に満ちた生活から救い出された人を100人連れてきます。あなたも同じように、あなたの無神論の政治活動に影響を受け、変えられた人を100人連れてきてください。」
返事がなかったのでしょう。ヒューズは、ブラッドローに「100人連れてくるのができないなら50人でもいい。50人も無理なら20人でもいい」と伝えました。その後も少しずつ数を小さくして、最後にはひとりまで下げました。ブラッドローは、無神論のおかげで人生にがすばらしく変えられた人をひとりだけ見つけ出せばいいのです。
しかし、結局、ブラッドローは挑戦を撤回してしまいました。(『徹底検証キリスト教2』を参照。来年発刊)。
無神論も、無宗教も、無信仰も、頭の中で理屈を通すことはできます。しかし、人の生活を変革する力はないのです。キリスト信仰は人を造り変えます。ただし、それも理屈だけの信仰では力を発揮できません。