箴言26・17

「自分に関係のない争いに干渉する者は、通りすがりの犬の耳をつかむ者のようだ」(箴言26・17)。争いを仲裁するには、双方から責められ、憎まれることを覚悟しなければなりません。それでも和解に導けない場合が多いのです。覚悟も確信も愛もなく、余計な世話を焼けば火に油を注ぐだけです。それゆえ、忍耐を重ね、身を犠牲にして、仲裁した人は偉大です。モーセ、キリストがそうでした。