悩んではいられない

「気にしなければ問題ではない」ことを、私たちはけっこう気にしているのではないでしょうか。容貌、失敗、人の評価や陰口・・・。自分では恥ずかしい失敗をしたようでも、自分がそう思って悩んでいるだけで、別にどうってことない場合が多いのです。

詩篇はこう語ります。「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです」(90・10)。死ねば、忘れ去られます。覚えてくれている人もやがて死にます。そんな矢のごとく過ぎ去る人生ですから、「気にしなければ問題ではない」ことや「気にしても仕方がない」ことで悩んではおられません。そんな悩みも人生とともに終わり、永遠に忘れ去られるのですから。

私は50歳を過ぎたころから、人生の残りの時間を計算するようになりました。年月は加速度的に過ぎていき、体力も記憶力も急速に衰えていくのに、なすべきこと、成し遂げておきたいことは、若い頃よりも多くなっています。あれやこれやと、自由に、たっぷりと時間を使っていた若いときとは、時間の重みが違うなあと思わされます。

ただ、一つだけ年をとっても変わらない能力があります。それは思考能力や霊的洞察力です。この能力はむしろ増えているように思います。全知全能の神を信じている強みだと思います。「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています」(IIコリント4・16)。若い頃は他人事だったこのことばを、いまは実感するようになりました。

「外なる人」に人生の主導権を委ねるなら、悩むばかりです。しかし、主の霊を受けた「内なる人」は、霊的世界をますます研ぎ澄ませていきます。あなたは何を気にして悩んでいますか。気にする意味があるかチェックしましょう。そして、「内なる人」に主導権を握らせましょう。未体験の聖霊の力を知ってきっと驚くことになると思います。