今年は一日一万歩を目指していますが、日中の歩数はとても足らないので、夜中に住宅街を通って川沿いの遊歩道に出て、帳尻を合わせようとしています。ほとんど人通りがなく、静かなウォーキングです。ここ二週間、どこからともなく、懐かしい花の香りが漂うになりました。でも、暗くて何の花か確かめられません。「この季節に何の花だろう」と妻に話すと、「蝋梅じゃないの」。「そうだ、そうだ、蝋梅だ。それしかない」。
寒くて静かな夜闇に何と奥ゆかしい香りでしょう。そこはかとなく存在を知らせていて、足を止めさせます。しばしたたずんでいたいところですが、マフラーとニット帽で顔を半分隠したオジサンなのが残念です。不審者に見られるでしょうから。でも、忙しく過ごしていたら、気づかないままに過ぎ去らせてしまったにちがいない季節の香りでした。
主イエスは、十字架にかかられる二日前、ベタニヤで一人の女からナルドの香油を頭から注がれました。家はその香りでいっぱいになりました。「ということは、十字架上のイエス様から、その香りがまだ匂っていたんでしょうね。キリストの香りってナルドの香りのことなんですね」と、ある人が言いました。言われてみれば、確かにそうです。
ゲッセマネで血のような汗を流して祈られた時も、弟子に裏切られた時も、カヤパの館で不正な裁判を受けられた時も、ピラトの前に立たれた時も、むち打たれ、殴られ、唾された時も、ゴルゴダの丘へと十字架を運ばれた時も、ずっとナルドの香りはかすかに漂っていたことでしょう。そして、隣の十字架上で悔い改めた犯罪人も、十字架の下でイエスの死を見届けた百人隊長も、その香りをかいだのだと思います。しかし、妬みと憎しみに満ちた長老や祭司たちや、群集心理で「イエスを十字架につけろ」と叫び続けたユダヤ人たちには届きませんでした。
寒くて暗い夜にも、静かに漂う花の香りのように、主イエスは側におられます。