恵み・・・良い行いに励む
行いによらず信仰によって救われるというのが、クリスチャンの確信です。私たちは過去、現在、未来の罪がすべて赦されるという十字架の恵みを受けています。しかし、その恵みをあてにして、行いはどうでもいいというわけではありません。むしろ、救われた今のほうが、救われる前より良い行いに励みます。パウロはこう述べ…
もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。
もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。
週報に掲載されるコラム
行いによらず信仰によって救われるというのが、クリスチャンの確信です。私たちは過去、現在、未来の罪がすべて赦されるという十字架の恵みを受けています。しかし、その恵みをあてにして、行いはどうでもいいというわけではありません。むしろ、救われた今のほうが、救われる前より良い行いに励みます。パウロはこう述べ…
「愛は怒らず」といっても、怒らなければ愛というのではありません。怒りは愛と義を表わす手段でもあります。怒るべきときに怒らないなら、愛も義もありません。 父なる神は怒られました。神は愛であると同時に怒りの神でもあります。神が怒られるとき、愛と義は一つです。神の怒りは、人の不義を懲らしめて正し、人を永遠…
英国では、傲慢を「人格障害の一種」ととらえ、対策を考える研究が始まっている(「傲慢学会」と呼ばれている)。ビジネス界も、「傲慢」は経営リスクと見て、注目している。これを「傲慢症候群」と名づけ・・・病気ではないが「権力の座に長くいると性格が変わる人格障害の一種といえる」という(朝日新聞150315)。 自分…
聖書には、「目を上げて、見る」という表現がたびたび出てきます。 ヨシュアがヨルダン川を渡り、未知の敵地カナンに踏み込んだとき、偉大なる主の軍の将に出会ったのは、「彼が目を上げて見る」ことによってでした(ヨシュア 5:13)。その方は「抜き身の剣を手に持って」ヨシュアの前方に立っておられました。下を向いた…
6.愛は自分の利益を求めない 昔、「くれない族」と呼ばれる人たちがいました。紅色とは関係ありません。「親が(私の願うこと)をしてくれない」「学校がしてくれない」「会社がしてくれない」「夫(妻)がしてくれない」「国がしてくれない」「子どもがしてくれない」、「だから、私、こんなに不幸せなの」と不平を言い…
「NHKドキュメント72時間」という番組で「名古屋駅の忘れ物窓口」が取り上げられていました。忘れ物の取り扱い数は年間16万点。人間は忘れ物する生き物のようです。 一番多いのは傘や手袋や小銭入れなどです。そんな小物でも、持ち主にはとても大切な思い出の品だったりします。それを見つけたときの表情はとても印象的でし…