Iコリント9・27
「私は自分の体を打ち叩いて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。」(Iコリント9・27)。 人にキリストを伝えながら、自分がキリストを見失ってはなりません。人生の決勝点を見ながら、誘惑されて道を外してはなりません。多少「出血」しても、遠回りを…
もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。
もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。
聖書のことばとショートメッセージ
「私は自分の体を打ち叩いて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。」(Iコリント9・27)。 人にキリストを伝えながら、自分がキリストを見失ってはなりません。人生の決勝点を見ながら、誘惑されて道を外してはなりません。多少「出血」しても、遠回りを…
「私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません」(Iコリント9・26)。 どんなに早く走ってもゴールを間違えれば失格です。闇の中で人生のゴールを見失ったまま頑張っても、敗北あるのみです。目的の周囲を回りながら、届かぬパンチを繰り出すだけでは何の意味もありません。…
「闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです」(Iコリント9・25)。 運動選手は、一時的な栄冠のためでも自分の全生活を投入します。ならば、私たちが主の栄光のために全生涯を捧げるのは当然です。朽ちる冠のために命…
「私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです」(Iコリント9・23)。 働くも遊ぶも学ぶも、喜ぶも悲しむも、何をするにも救いの福音を身に帯びていることを意識しましょう。今日出会う人たちの心にキリストを届けることを目指し、自分の言動にキリストを込めまし…
「私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました」(Iコリント9・19)。 隣人を救いに導くために、自分のあり方を捨て、罪にならない範囲で何にでもなれるのが真の自由です。弱い人には弱い人のように、老人は老人のように、クリスチャンではない人にはその人の気持ちになり、そ…
「自分は何か知っていると思う人がいたら、その人は知らねばならぬことをまだ知らないのです。しかし、神を愛する人がいれば、その人は神に知られているのです」(新共同Iコリント8・2、3)。 知識は大切ですが、まだわかってはいないという謙遜な姿勢を保ちましょう。何かを知っていることより、神に知られていることが人…