今日のみことば

聖書のことばとショートメッセージ

哀歌3章27、28節

「人が、若い時に、くびきを負うのは良い。それを負わされたなら、ひとり黙ってすわっているがよい」(哀歌3・27、28)。筋力は負荷をかけられなければ衰退していきます。一度も重荷を背負ったことのない人生は、生きなかったのと同じです。元気な人は岐路に立って迷ったら、より困難な道を選び、重荷を負ったほうがいいので…

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哀歌3章25、26節

「主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。主の救いを黙って待つのは良い」(哀歌3・25、26)。主の慈しみを感じられないのは、私たちが心の中でしゃべりすぎてうるさいからです。疑いのざわめきや恐れの叫びを黙らせましょう。妬みの声も人を裁く声も静めましょう。聖霊を心に迎える祈りと心の静まり…

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哀歌3章23b、24節

「『あなたの真実は力強い。主こそ、私の受ける分です』と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む」(哀歌3・23b、24)。主の憐れみによって罪赦された私たちが、主以外の何を望むべきでしょう。主が私の父、私の友です。その主から何を受けても、それが私たちの分です。しかも、主は私たちには分不相応な恵みを…

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哀歌3章22、23節

「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい」(哀歌3・22、23a)。私たちも主に滅ぼされて当然の罪人です。それでもなお、生かされているのは、主の憐れみ以外の何ものでもありません。その憐れみに慣れ、鈍感になってはいませんか。鈍感は、主の恵みを無駄に…

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ガラテヤ書3章24節

「律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです」(ガラテヤ3・24)。ユダヤ人は律法によって罪を悟り、私たちは良心によって罪意識をもちます(ロマ2・14、15)。それは私たちがキリストに導かれるためです。ですから心に罪の痛みを感じるたびに落ち込むの…

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ガラテヤ書3章13節

「キリストは、私たちのために呪われた者となって、私たちを律法の呪いから贖い出してくださいました」(ガラテヤ3・13)。救われた私たちにとって、信仰と行いとは一つです。拙い行いでも、信仰から出た行いなら、主に受け入れられます。主の教えを完全に実行できないからといって、もはや呪われることはありません。完璧を求…

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