箴言23章35節
「私はなぐられたが、痛くなかった。私はたたかれたが、知らなかった。いつ、私はさめるだろうか。もっと飲みたいものだ」(箴言23・35)。主から厳しい警告を受けても耳に響かず、むち打たれても痛みを感じず、心はいつもこの世のことで酔っている・・・この鈍感さは末期症状です。「地の塩」である者が、塩気を失ってはなり…
もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。
もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。
聖書のことばとショートメッセージ
「私はなぐられたが、痛くなかった。私はたたかれたが、知らなかった。いつ、私はさめるだろうか。もっと飲みたいものだ」(箴言23・35)。主から厳しい警告を受けても耳に響かず、むち打たれても痛みを感じず、心はいつもこの世のことで酔っている・・・この鈍感さは末期症状です。「地の塩」である者が、塩気を失ってはなり…
「私はなぐられたが、痛くなかった。私はたたかれたが、知らなかった。いつ、私はさめるだろうか。もっと飲みたいものだ」(箴言23・35)。主から厳しい警告を受けても耳に響かず、むち打たれても痛みを感じず、心はいつもこの世のことで酔っている・・・この鈍感さは末期症状です。「地の塩」である者が、塩気を失ってはなり…
「あなたは心のうちで罪人をねたんではならない。ただ主をいつも恐れていよ。確かに終わりがある。あなたの望みは断ち切られることはない」(箴言23・17、18)。小さな不正をも嫌い、聖く生きることに飽いてはなりません。人が小ずるい方法で得したり楽したりするのを見て、うらやんではなりません。忍耐と勤勉が報われなく…
「富を得ようと苦労してはならない。自分の悟りによって、これをやめよ。あなたがこれに目を留めると、それはもうないではないか。富は必ず翼をつけて、鷲のように天へ飛んで行く」(箴言23・4、5)。富に何も影響されない人は希です。日頃から主にささげる喜びを知らなければ、富を得ても人生を損なうだけです。富の空しさ…
「最後の敵である死も滅ぼされます」(Iコリント15・26)。死ねば全て終わりなら、「あすは死ぬのだ。さあ、飲み食いしようではないか」(32)ということになります。しかし、主を信じる者は永遠に生きます。それゆえ、地上生涯においても、世の人とは異なる生き方をします。両者の間には、考え方や価値観、一挙手一投足におい…
「すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです」(Iコリント15・22)。人はアダム以来、いのちの源である神から切り離された状態で生まれます。それが霊的死です。しかし、キリストを信じた者は神とのつながりを回復します。それが永遠のいのちです。そのつながり…