新撰組「誠」

 NHKの今年の大河ドラマは「新撰組」です。ドラマ自体は見ませんでしたが、「新撰組」を愛する若者たちをスタジオに集めた特集番組を見ました。そこで話題になったのは新撰組の旗印「誠」です。新撰組は幕府に忠誠を尽くしたわけですが、では「あなたにとって誠とは何か」という質問がなされました。若者らは、「命をかけられるもの」「信頼して生きられる確かなもの」「純粋」といった答えを出していました。彼らも何か絶対的なもの、信じられる不変の価値を求めているのですね。

 しかし、これに噛み付いたのがゲストのラサール石井氏や江川紹子氏といった人たちでした。彼らは二人とも、いわゆる「白け世代」、ノンポリ世代に属しています。石井氏自身も認めていましたが、絶対的な価値を信じない人たちなのです。「すべては変化している。相手も自分も常に動いている。絶対的なものなんかない」「命をかけるというけれど、間違っていたらどうするの」と、二人は若者らに水をかけました。

 実は、私も両氏と同じ世代なのですが、彼らの発言はちょっと不愉快でした。「この二人は全然変っていないな、昔のままだ」と思いました。「すべては変化している、自分も常に動いている」と言いますが、彼らのこの考えた方自体は30年前とまったく変っていないのです。つまり、既成の権威や価値が否定され破壊され、何も信じられるものはない、というあの当時の風潮に染まったままなのです。彼らは「絶対的なものはない、すべては相対的である」という時代精神に身を投じています。それが彼らの「誠」であり、相対主義が彼らの絶対的なものなのです。「(自分の信じるものが)間違っていたらどうするの」という問いかけは、両氏自身に向けられるべきものだと思いました。

 若者の一人が言いました。「信じているものに情熱をかけたい。もし間違っていたら、その情熱が間違っていることを教えてくれると思う。」確かに、パリサイ派サウロ(使徒パウロ)がそうでした。絶対的に信じられるものがなくて、何にも情熱をかけられず、中途半端に生きる人生より、信じて情熱をかける人生の方がはるかに優れていると思います。

絶対的なものは何もないという信仰からは愛も情熱も生れません。愛や情熱は絶対的なものを信じる信仰からのみ生まれるのだと思います。