マタイ20・28

「人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです」(マタイ20・28)。キリストが偉大なのは、神の子なのに神の在り方を放棄し、王なのに仕える者となり、いのちの主なのにいのちを捨てられたからです。この愛が人を滅びから救いました。私たちも仕えることを喜びとしましょう。