捨てる その5

6.信仰の妨げになるものは捨てる

 あなたの信仰は成長していますか。成長のためには、二つのことが大事です。一つは、成長を促進する御言葉の学び、祈り、実践です。もう一つは、信仰の妨げになっているものを、痛みに耐えてえぐり出し、捨てることです。イエスはこう命じておられます。「もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい」(マタ 5・29)。それほど、断固たる態度を取るということです。

 あなたにとって「右の目をつまずかせるもの」とは何でしょうか。聖霊の流れを止めているものがありませんか。たとえば、「姦淫、猥褻、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです」(ガラ5・19?21)。人の前では、敬虔そうにふるまっていても、密かに、つまずきとなるものと親しくしてはいませんか。せっかく御言葉を学び、祈り、良いことをしていても、同時に、罪の隠れた楽しみや遊興にも浸ることがあるなら、それは、アクセルを踏みながら、同時にブレーキを踏むようなものです。

 パウロがエペソで伝道したとき、イエスを信じた人たちの中から多くの人々が、「自分たちのしていることをさらけ出して告白した。また魔術を行っていた多くの者が、その書物をかかえて来て、みなの前で焼き捨てた。その値段を合計してみると、銀貨五万枚になった」とあります(使19・18、19)。彼らは、キリストに従うと決心したとき、自分が大事にしてきた魔術の本をすべて捨てる決心をしたのです。たとえ高価でももったいなくても、しまっておけば後日つまずきになります。この思い切った「捨てる」決断は、信仰の初期だけでなく、何度も繰り返す必要があります。罪は、いつの間にかまとわりつくからです。「・・私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を、忍耐をもって走り続けようではありませんか」(ヘブ 12・1)。

「捨てる」ことで、堰き止められていた聖霊の流れが回復します。