すねない

「私は生きているより、死んだほうがましだ」(ヨナ4・3、8)。

イスラエルの預言者ヨナの言葉です。なぜそんなことを言ったのか。それは、一本の「とうごま」が虫にかまれて枯れてしまい、太陽がヨナの頭を照りつけ、疲労困憊したからです。案外、人は自分の事となると、小さなことで心を頑なにし、簡単に「死んだほうがましだ」などと言い放ってしまうのですね。

実は、主はヨナを敵国アッシリアの首都ニネベに遣わされたのですが、そのときも「死んだほうがましだ」と頑な態度をとっていました。ニネベが滅びることを望んだのです。

それゆえ、ニネベの人々が町をあげて悔い改め、滅びを免れたときも、「死んだほうがましです」と、主に向かって毒づきました。しかも、「私が死ぬほど怒るのは当然のことです」とまで言ってのけます。すっかりすねたのです。あの「とうごま」は、主がヨナの不機嫌を直そうと、日除け用に生えさせてくださったものでした。しかし、ヨナはそのことに気づいてはいません。頑なさが心の目を塞いだのです。

主は、「右も左もわきまえないニネベの12万以上人々」を惜しまれます。しかし、ヨナは一本の「トウゴマ」を惜しみ、「死んだほうがましだ」とすねます。

こうした大の大人の頑なさ、すぐにすねる性質は、本当に主に面倒をかけ、周囲の人を困らせます。自分のことは自分ではなかなか気づけません。逆に、人にはすぐわかります。子供じゃないので、可愛くもありません。みっともないのです。でも、主の預言者にしてこのありさまなのです(すねる預言者をそれでも忍耐して用いる主はすごい)。

心を頑なにすることが、主の祝福をどんなに遠ざけることか。すねれば、主の働きがどんなに滞ることか。堕落した12万の民を惜しまれる主の心を、自分の心としましょう。