悔い改めなければ滅ぶ

「そのガリラヤ人たちがそのような災難を受けたから、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。また、シロアムの塔が倒れ落ちて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいるだれよりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます」(ルカ13・2~5)。

 私たちは、今回の震災と津波を、悔い改めと信仰の一新の機会とすべきだと考えます。

都知事の「天罰だと思う」という無思慮な発言がありました。もちろん被災地の人々が「そのような災難を受けたから、ほかのどの日本人よりも罪深い人たちだった」わけではありませんし、死者が生き残った人より罪深いわけでもありません。「あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます」。だれもが、この主の言葉を聞くべきです。

被災された人たちは、私たちの代わりに苦しまれたのです。また、日本は世界に代わって苦しんでいるのです。災難を受けた者は、受けなかった者に対して、「あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます」という「主の警告」を発しているのだと思います。

それゆえ、私たちは被災者の復興のために援助しなければなりません。自分だけ安全で、生活が守られればいいと、自己中心な行動に走ってはなりません。電力・ガソリン不足、電車の間引き運転などの多少の不便は、被災地の復興優先のために、当然耐えるべきことです。被災者の悲惨さを見て、「あれは自分だ」と、悲しみと苦しみをともにして、祈るべきなのです。

今の時は、安全なところにいる私たちクリスチャンにとって、生温い信仰から目を覚ます絶好のチャンスです。この機会に、欠乏、不足、不便に馴染み、分かち合う喜びを知り、信仰を「終末時代の信仰」にグレードアップしましょう。そして、「どんな境遇にあっても満ち足りる」(ピリピ4・11)という境地に近づきましょう。