復活

復活はキリスト教の最も大切な教えです。私はキリストの復活を信じます。「キリストの復活」は私の復活の保証です。私は復活信仰を恥とはしません。

私は自然科学に人並みの関心をもち、科学の有用性を認め、物事は合理的に考えます。科学の世界では「復活」はないことも知っています。それでも、キリストの復活を歴史の中で起こった出来事であると信じています。といっても、科学の枠組の中で復活を主張するつもりはありません。ただ、現代科学の方法論だけで描き出される世界が、ありのままの世界のすべてだとは信じないのです。たとえば平面の世界ではありえないことが立体の世界では起こるように、現代科学が描き出す世界とは別の世界で、復活があることを信じているのです。

以前、NASAに「月に人を送り込む科学の力で、私の息子をまっとうな人間に造り変えて欲しい」という手紙を書いた母親がいました。もちろんできない相談です。科学には踏み込めない領域があります。人間のたましいの問題には無力なのです。

私のたましいの重大な問題、それは空虚感、孤独感、罪責感、死の恐怖という「4つの闇」でした。闇の中にいれば光を求めます。しかし、科学は物質世界で光を作り出せても、たましいの闇に光を灯すことはできません。哲学の世界に光を求めても、人間の理屈では実質的な光を生み出せません。ただ、復活のキリストだけが、科学や哲学とは別の世界で、「4つの闇」に光を与えてくれたのです。

太陽が昇らない日が一週間も続けば、人間の体は異常をきたすでしょう。人のたましいも、光を浴びなければ悶え苦しみます。人間は光なしには生きられないように造られているのです。体には太陽の光が届きます。なのに、たましいの光はどこにもないということはありえません。その光はあります。復活のキリストによって届けられています。