断食②

Mike Bickle『神ご自身の御心を求めて』②(意訳、抄訳、要約です)

私は、聖書の学び、祈り、賛美と同じように、断食がクリスチャンの普通のライフスタイルになると信じています。断食を取り入れた生活の利点を5回にわたってお話します。

1.断食は、人の心を柔らにし、霊的受容力を増大させる

 私たちは、断食によって、神を感知し、体験する超自然的な能力を受けます。これは驚くべき事実です。断食は、神様とのロマンスの基礎を築く助けとなります。バプテスマのヨハネが行っていた断食がそうです。彼の断食は、奇跡を求めるためではなく、神の中に心を広げていくためのものでした。実際、ヨハネは奇跡を行ったことはありません。しかし、聖書の記録においては、アンナを除けば、だれよりも断食しています。断食は彼を神の前で偉大な者としました(マタイ11・11)。天使ガブリエルがヨハネの父ザカリヤに現れて、ヨハネについてこう言っています。「彼は主の御前にすぐれた者となるからです。彼は、ぶどう酒も強い酒も飲まず、まだ母の胎内にあるときから聖霊に満たされ」る。

 人は、聖書的根拠や力による実証は強く求めても、キリストご自身を思慕する心は鈍ったままということが、往々にしておこります。それは、断食を信仰生活に取り入れていないからです。そのため、健全な教義のためには一生懸命になっても、神の心を体験する柔らかな心は耕されないのです。主イエスの時代には、まさに自分の聖書的正当性を主張している人々が、イエスとバプテスマのヨハネを殺そうとしました。教会の歴史においても、多くのクリスチャンたちが、教父を学び、歴史の教訓を覚え、神学的議論は極めながら、使徒たちのような力を発揮することはなかったのです。

 あなたが神の前で偉大とされ、神の心に深く馴染みたいなら、断食をしてみてください。断食の報酬がどのようなものであるか、実際に知っていただきたいのです。