断食③

Mike Bickle『神ご自身の御心を求めて』③(意訳、抄訳、要約です)

2.断食は、啓示の霊で心を照らし、御言葉の理解を鋭くする

 使徒2・17の「青年は幻を見、老人は夢を見る」ことも、断食と不可分だと私は思います。私は断食を始めてから、花婿なるキリストに関する霊的な夢を見ることが著しく増えました。神の言葉についての夢もそうです。夢の中で、主が御言葉を解き明かし、私が携わっている分野で特別な悟りを与えてくださるのです。イエス様自身がイエス様について語ってくださるなら、それに勝ることはありません。それがあの「エマオへの途上」(ルカ24)で起こったことです。主は二人の弟子に現れ、ご自分のことを、聖書を通し、また「近頃そこで起こったこと」を通して、説明してくださいました。主の姿が消えたとき、彼らはこう言っています。「私たちの心はうちに燃えていたではないか」。

イエス様は、「花婿断食」(①参照)する人に、悟りの心を開いてくださいます。目を覚まして御言葉の学んでいるときはもちろん、夢や幻の中でもイエス様が現れて、理解を広げてくださるのです。

 神は、神の近付く者に、秘密(奥義)の領域を開いてくださいます。「主を畏れる人に/主は契約の奥義を悟らせてくださる」(詩篇25・14、新共同訳)のです。何百億円出しても、神の奥義を手にすることはできません。神の秘密の領域にはどんな手を使って入り込むことはできないのです。ただ、祈りと断食だけがそこに連れて行ってくれます。「神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです」(Ⅰコリ2・10)。

 神に近付き、神の奥義を覗き見たいと思います。終わりの日の出来事をどう解釈するのか、花婿なるイエスに関する計画をどう理解するのか、主にどのようにお仕えしたらいいのか。神の奥義の領域では、そうしたことが事細かに解き明かされます。