断食⑥

Mike Bickle『神ご自身の御心を求めて』⑥(意訳、抄訳、要約です)

5.断食は、神の子供でありキリストの花嫁であるという霊的自覚を深める

自分が何者なのかわからぬまま、長年、もがいている人がたくさんいます。彼らのほとんどが、「自分」にとり憑かれ、「自分」に没頭しています。彼らは礼儀を弁え、そんな素振りを見せはしませんが、自分が人にどう見えるかをいつも気にしており、無視されたと思うと傷つくのです。

しかし、「花婿断食」は、自分が何者であるかの自覚を強め、妬みや不安の縛りを弱めます。かつて私は、自分の名を上げようと懸命でした。しかし今は、私の進むべき道はハッキリしています。それはバプテスマのヨハネの道です。彼はこう言いました。「私は叫ぶ者の声である。知られる必要はない」。ヨハネは花婿キリストの声を聞いたので、もう人々の意見を気にする必要はないのです。花婿の声を聞いたなら、喜んで「声」になります。

「花嫁を迎える者は花婿です。そこにいて、花婿のことばに耳を傾けているその友人は、花婿の声を聞いて大いに喜びます。それで、私もその喜びで満たされているのです」(ヨハネ3・29)

ヨハネは、民衆から受ける栄誉の喜びとは全く異なる内なる喜びにひたされ、心は平穏でした。しかし、民衆は悪霊に憑かれた危険人物とみなすようになります。「ヨハネが来て、食べも飲みもしないと、人々は『あれは悪霊につかれているのだ』と言い」ました。しかし、それでもヨハネは「私は民衆の声に従っては生きない。花婿の声で生きる」という道を歩みます。

あなたが花婿の声を聞くなら、あなたの願いや「失いたくないもの」が変わります。あなたへの聖霊の油注ぎは、もう失われません。だれも奪い取ることはできません。あなたが神の目に偉大であることを、だれも阻めません。あなたに新しい決意と勇気が与えられます。あなたは花婿との麗しい関係を深め、そこから生まれる力で生きるのです。