ヤコブの手紙(2)「試練と忍耐」(1・2、3)

「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。」

聖書には、試練と忍耐の場面がたくさん出てきます。

イサクもその一人です。主の祝福を受けていたイサクはペリシテ人に妬まれ、父アブラハムから受け継いだ井戸を全て埋められてしまいました。井戸は荒野の生命線です。彼はもう一度掘り直しました。すると今度はゲラル人に横取りされました。それでも、争いを回避して新たな井戸を掘り続けます。そうしてついに争いのない井戸を掘り当て、栄えることができました。イサクは理不尽な目にあってもなぜ忍耐し通したのか。それは、「父アブラハムから主の祝福の契約を継承している」という信仰があったからです。

ヨシュアとカレブも、アブラハム契約の祝福を信じていた人たちです。その祝福の一つが「約束の地」カナンの所有でした。二人はイスラエルの会衆にカナンの地は必ず勝ち取れると説得しましたが、会衆はカナンの民族の強大さを聞いて恐れをなし、二人に反対しました。結局、彼らの不信仰のために、全イスラエルの民が40年間、荒野をさまようはめになったのです。主に信頼したヨシュアとカレブも、同じ苦しみを負わされました。しかし、その40年間、二人は不平を言わず、会衆を恨まず、主に仕え、希望を持って試練を耐え通しました。そして、最後には「約束の地」獲得の功労者になったのです。

しかし、最高の忍耐の模範はやはり主イエスです。主は「ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました」(ヘブル12・2b)。この方の忍耐によって、私たちは救われ、永遠のいのちを受けています。

信仰は試練を受けると自ずから忍耐を生み出し、忍耐は実践されます。イスラエルの信仰者にとって、信仰と忍耐とその実践は常に一つです。それが人を成熟させるのです。