イザヤ6章5節

「ああ。私は、もうだめだ。私は唇の汚れた者で、唇の汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍の主である王を、この目で見たのだから。」イザヤの預言者としての召命は、「私は、もうだめだ」という絶望から始まりました。主の御前で自分の絶望を自覚することで、真の希望を知ることになるのです。人は自分に絶望していなければ、いざというとき、相変わらず自分の力に頼ってしまいます。