私の足のともしび

私は、3歳から18歳まで埼玉県で育ちました。暮らした家は、おもに母が設計士と相談しながら考えた、両親の夢が詰まった注文住宅でした。玄関を入ると、二階までの吹き抜けがあって、階段が弧を描くようにして中二階と二階の部屋をつないでおり、それぞれの踊り場からは玄関を見下ろせるようになっていました。そのため、朝早く出勤する父の「お~い、行ってくるよ~」という掛け声も二階までよく通り、私などはそれで目を覚ましました。父を見送ろうと慌てて踊り場に出て玄関を見下ろすと、そこにはいつも「行ってらっしゃい」のハグをしている両親がいて、幸せな気持ちになったものです。

このように、両親は仲睦まじかったのですが、極たまに、喧嘩をすることもありました。普段仲が良いだけに、私も弟もどうしたら良いか分からなくなってしまい、おろおろし、半べそをかきながら床に就いたこともありました。

それでも、両親は決して喧嘩を持ち越すことはありませんでした。翌朝はいつものように、父の声掛けと母のハグで始まるのです。

両親の寝室には、結婚式の司式をした牧師から贈られた御言葉が、幸せそうな写真と共に額に入れられて飾ってありました。

「いつも喜べ。絶えず祈れ。すべてのことに感謝せよ」(第Ⅰテサロニケ5:16~18)。

私は、この御言葉が両親の心に刻まれ、生きて働き、家族の平和と平安を守ってくれたと信じています。

私にも結婚後、両親の姿から、次の御言葉が与えられました。

「怒っても、罪をおかしてはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはなりません」(エペソ4:26)。

私たち夫婦の場合、日が暮れるまで…とはいかないこともありますが、御言葉が心に浮かぶので、「宵越しの怒り」を持つことはありません。最近では、子供たちも仲裁してくれるので感謝です(笑)。

「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」(詩篇119:105)。

これは年賀状に書いた御言葉です。今年も主に出会い、御言葉に祝福される人々が豊かに起こされますように。(松田智子)