与えてくださる神様

「主は与えて、主は取られる。主の御名はほむべきかな」。

私はこの御言葉をよく思い起こします。手放すことのできないことがあるとき、この御言葉で全てのことには主の主権があると認めました。

しかし、ここ数ヶ月、「主は与えて」という部分を、身をもって体験することとなりました。

 去年、大学の同期と「あなたの家」というテーマのコンペに、関係性からつくられる家を提案し、主の恵みにより賞をいただきました。コンペ後、この提案をより多くの人に知ってもらいたいと願い、1/1実寸で体験できる展示を企画し、ここ数ヶ月はこの展示を実現するために活動していました。

 1/1の制作には自分たちの力だけでは成し得ない部分が多く、最初は不安が大きかったのですが、主は時にかなって美しい方で、まさに必要なときに必要な人とモノ、資金を与えてくださり、展示が一歩ずつ進んで行きました。

 ある日は、制作する階段と机を支える単管を借りようとしましたが、なかなか探すことができずにいました。単管入手がこの日以降になってしまうと、全ての工程がずれ込んでしまう!という日の朝、主に祈り、探し求め、何か情報があるのではないかとジンさんにまで電話していました。しかし、神様は思いも寄らないところから単管を用意してくださいました。制作を手伝ってくださった助手さんが喫煙所に行ったとき、他学科の助手に出会い、自分の所に使わない単管があるから使っても良いと言ってくださったのです。そのタイミングは、神の御業としか言いようがなく、まさに「主は与えて」くださったものでした。

 この他にも教会の方々から多くの支援が必要なタイミングで与えられ、主の愛をたくさん味わう時となりました。今回は、与えられることを通して、主の主権が全てにあることを知り、全ては主が与えて下さったものであるから、私が誇ることは何もなく、主の御名があがめられるべきであると思わされました。

与えてくださるときも、取られるときも、主の計画は私よりもはるかに大きく美しいことを認め、ほめたたえることのできる日々でありたいと願います。(長谷川ゆい)。