教会塾は神の国

ホームスクーリングをしている我が家の子供たちは、週に数回教会塾に通っています。ある日、こんなことがありました。

 夜に同じ教会塾に子供を通わせているA君のお母さんから連絡があり、A君がうちの息子にどうしても話したい事がある、と言うのです。珍しいことでしたが、胸騒ぎがして携帯電話を貸しました。数十分の電話が終わった息子に「何かあったの」と聞くと、こう話してくれました。

実は、その日、教会塾でA君とあることについて意見がぶつかってしまい、A君はつい口にしてしまった言葉をとても気にしていて、僕に謝りたかったんだ、と。そのことが気になって眠れないほどだったらしい、と。「それで君はどうしたの」と聞くと、「大丈夫だよ、と言って一緒にお祈りした」と言ったのです。

 私は、子供たちの間で、このような罪の告白と赦しと祈りという神の国の文化が展開されていることに、心から驚き感動しました。そして自分が恥ずかしくなりました。

つい、小さな事だからいいだろう、と心に引っかかる罪を忘れようとし、うやむやにし、本当に忘れてしまうことがあるなあ、と。でもA君のようにちゃんと自分の罪に向き合ってどうしても謝りたい、と思って行動に移すってすごいなあ、と。罪はどうしたって犯してしまう、でもその後に、どうするかがとても大事だなあ、と。

 教会塾は勉強だけするところではなく、こうしてみことばと祈りを実践していく生活習慣を養っていくところであり、それのできる仲間がいる所だということを改めて感じました。

それぞれに弱いところがあり、それでも赦し合って励まし合う、その恵みをもっと多くの子供たちにも味わって欲しいと願い、家庭の中でも罪と赦しに関する感性を養っていきたいと思わされました。 長男よ、分かったかな。(きのつらゆき)