使徒28章20節

「私はイスラエルの望みのためにこの鎖につながれているのです」。パウロは「鎖」を苦にしていません。むしろ誇りにしています。自分個人の願いではなく、神の国の祝福を広げるための苦しみだからです。自分のためなら、苦しくなればいつでもあきらめられます。しかし、神の国のために味わう苦しみは、主の力を受ける機会になります。新たな道が開かれ、未知の祝福を受ける契機となります。