キリストの栄光教会が目指すもの

2003年4月6日、GCCは第一回礼拝を、久米川駅前晃正プラザビル5階25坪の部屋で捧げました。

教会名はヨハネ11章40節の「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る」から来ています。『GCCの祈りと願い』」にあるとおり、「私たちの切なる願いは、私たちの教会と私たちの人生において、主の栄光を見ることです」。

私たちは自己実現や人間の栄光を求めません。キリスト実現、キリストの栄光を現すことだけを目指します。キリスト栄光を現すとは、キリストのご性質、すなわち聖さ、愛、義、全知全能の力がそのまま私たちに現れることです。そうしてキリストの満ち満ちた身たけにまで達する」(エペソ4:13)のです。

この20年、社会も教会も驚くほど変わりました。OHPからプロジェクター、FAX、ケータイ、PCメール、スマホ、インターネット、SNS、ZOOMなどのオンライン、特にコロナ禍の3年間でライフスタイルは大きく変化しました。今後も本格的なAIの時代を迎え、更なる変化が来ることは間違いありません。飛び交う情報も85%ほどは主観混じりの歪んだものか、フェイクです。その判別はますます難しくなるでしょう。

だからこそ、私たちは当初以来続けて来た「聖書の学びと祈り」に専心し続けます。神の言葉だけは不変であり、必ず実現するからです(マルコ13:31)。

と同時に、アブラハム契約の通り、「祝福する教会」として、神の国の祝福を広げる役割を果たします。そのためには、不変の御言葉を土台にしつつ、変化する社会に対応した礼拝形式や宣教方法を見出すべきです。人間が考え出した方法や、人間が作ったルールや伝統は、恐れることなく時代に合ったものに変えるのです。ただし絶対に、聖書が教える枠を越えてはなりません。

「キリストの身丈にまで達する教会」に成長するとは、数が増えることではなく、キリストの体を構成する教会員一人一人がキリストに似た者になることです。数の成長を目指せば、やがて教会は分裂します。キリストに似た者に成長すれば、教会は一致を保ち、数や量の成長は後からついてきます。