今日のみことば

聖書のことばとショートメッセージ

第二コリント6章8b~10節

「私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、人に知られないようでも、よく知られ、死にそうでも、見よ、生きており、罰せられているようであっても、殺されず、悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています」。これがクリス…

続きを読む第二コリント6章8b~10節

第二コリント6章5b~8a節

「すなわち非常な忍耐と、悩みと、苦しみと、嘆きの中で、・・・純潔と知識と、寛容と親切と、聖霊と偽りのない愛と、真理のことばと神の力とにより、また、左右の手に持っている義の武器により、また、ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているので…

続きを読む第二コリント6章5b~8a節

第二コリント6章1b、2節

「神の恵みをむだに受けないようにしてください。神は言われます。『わたしは恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた』。確かに、今は恵みの時、今は救いの日です」。今、状況が良くても悪くても、恵みは変わらずあふれています。その恵みを垂れ流しにしてはなりません。恵みはいろんな姿をしています。「今は…

続きを読む第二コリント6章1b、2節

イザヤ6章8節

「ここに、私がおります。私を遣わしてください」。主の「誰を遣わそう」という呼びかけに応答したイザヤの言葉です。イザヤの使命は、人々には決して理解されることのない、主の言葉を告げることでした。人々の心が鈍く、閉ざされていたからです。イザヤはそれを承知で、預言者として立ちました。人は各々、主から使命を…

続きを読むイザヤ6章8節

イザヤ6章5節

「ああ。私は、もうだめだ。私は唇の汚れた者で、唇の汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍の主である王を、この目で見たのだから。」イザヤの預言者としての召命は、「私は、もうだめだ」という絶望から始まりました。主の御前で自分の絶望を自覚することで、真の希望を知ることになるのです。人は自分に絶望していなけ…

続きを読むイザヤ6章5節

イザヤ6章3節

「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満つ」。主は聖なる方です。本来、人間には近づくことが許されない、隔絶された方です。私たちはただ、主を畏れるのみです。一方、私たちは神の子供とされて、聖なる神を「父」と呼ぶことが許されています。驚くべき恵みです。この恵みに驚き、感動し、震えています…

続きを読むイザヤ6章3節