イザヤ5章4節
「わがぶどう畑になすべきことで、なお、何かわたしがしなかったことがあるのか。なぜ、甘いぶどうのなるのを待ち望んだのに、酸いぶどうができたのか」。主の願いは、私たちが「甘い実」をつけることです。そのために豊かに祝福してくださっています。主に対しクレーマー・クリスチャンになってはなりません。「酸い実」…
もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。
もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。
聖書のことばとショートメッセージ
「わがぶどう畑になすべきことで、なお、何かわたしがしなかったことがあるのか。なぜ、甘いぶどうのなるのを待ち望んだのに、酸いぶどうができたのか」。主の願いは、私たちが「甘い実」をつけることです。そのために豊かに祝福してくださっています。主に対しクレーマー・クリスチャンになってはなりません。「酸い実」…
「鼻で息をする人間をたよりにするな。そんな者に、何の値うちがあろうか」。人間は知識と力を誇っても、死ねばただのチリです。どこからきてどこへ行くのかも知りません。善を欲しても、その善が行えません。死んだら無なら、人生は無意味であり、人間存在自体が無価値です。しかし、こうして自分という人間に徹底的に絶…
「主は国々の間をさばき、多くの国々の民に、判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない」。平和を叫ぶ人はごまんといますが、創る人はわずかです。キリストは平和の主です。主が私たちに求められるのは、一緒に住む人と和解し、隣人を具体的に愛…
「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです」。私たちは、自分の罪をキリストに着せ、キリストのいのちをいただき、義なる者として堂々と生きています。しかし、これこそが神の願われたことです。キリストの払われた犠牲を無駄にしてはなりませ…
「神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました」。私たちは、キリストが大祭司である「祭司の王国」(出エ19:6)に暮らし、私たちも祭司としての「和解の務め」を託されています。その務めは、人を神との和解に導くことです。そのために、挨拶する、事情を理解する…
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」。私たちは「古い人」を脱ぎ捨てました。もう「古い人」を懐かしがってはなりません。主は「新しい人」になった私たちのために、新しい計画を用意されています。まず、その恵みに感謝し喜びす…