マタイ21・9b
「ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に」(マタイ21・9b)。群衆はこう叫び、イエスを神の都に迎えます。群集の中には悲しみを心に隠し持つ人もいたでしょう。でも王を迎えたときは賛美したのです。私たちが喜んでいるときも沈んでいるときも、主の愛は変わりません。賛美し…
もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。
もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。
聖書のことばとショートメッセージ
「ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に」(マタイ21・9b)。群衆はこう叫び、イエスを神の都に迎えます。群集の中には悲しみを心に隠し持つ人もいたでしょう。でも王を迎えたときは賛美したのです。私たちが喜んでいるときも沈んでいるときも、主の愛は変わりません。賛美し…
「見よ。あなたの王があなたのところに来られる。柔和で、ろばの背に乗って、それも荷物を運ぶろばの子に乗って」(マタイ21・5b)。馬は戦いに用いられ、ろばは荷を運ぶために用いられます。イエスはろばに乗られました。平和の主だからです。平和は人間の知恵や武力ではなく、十字架によって成就されます。命の代価なくし…
「主が御入用なのです」(マタイ21・3)。エルサレム入城に際し、イエスは「ろばの子」を求められました。世の王は馬に乗ります。馬は賢く、早く、力強いからです。しかし、神の国の王イエスはろばの子に乗られました。ろばは馬に比べ、愚かで、鈍く、弱い動物です。イエスにはろばがふさわしいのです。私たちは「ろばの子」…
「『わたしに何をしてほしいのか。』彼らはイエスに言った。『主よ。この目をあけていただきたいのです』」(マタイ20・32b,33)。イエスは、願う先から盲人の必要を知っておられたはずです。ではなぜ、して欲しいことを聞かれるのか。一つは、それがイエスにできると本当に信じていることを告白させるためであり、もう一つ…
「人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです」(マタイ20・28)。キリストが偉大なのは、神の子なのに神の在り方を放棄し、王なのに仕える者となり、いのちの主なのにいのちを捨てられたからです。この…
「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい」(マタイ20・26b,27)。知識や地位が人を偉くするのではありません。真に偉大な人物とは、喜んでみなに仕える人のことです。損得勘定をせず、身を切って人のために労…