あなたの願いは

キリストを知る以前は、自分中心の願いを心にもち、自分の方法と努力でそれを実現しようとします。しかし、キリストを知ったのちは、自分中心に生きてきた自分を捨て、キリスト中心に生きるようになります。キリストの願われることを自分の願いとし、聖霊により頼み、心と力を尽くして実現を目指します。

 キリストの弟子たちがそうでした。キリストを真に知るまでは、弟子たちの中で自分が一番偉くなることが彼らの願いでした。最後の晩餐の席にあっても、だが一番かを論じ合っています。本当にみみっちい争いです。しかし、キリストの十字架、復活、聖霊降臨を体験してのちは、自分を捨て、キリストの願いに生き始めます。キリストの願いとは何か。

「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります」(使徒1・8)。

地の果てにまでキリストの証人となること。それが、昇天前のキリストが弟子たちに残された約束であり、願いでした。弟子たちはそれを生涯のビジョンとして受け取り、エルサレムから世界へと広げていきました。そして二千年後の今も、教会はそれを受け継いでいます。キリストの約束と願いは、キリスト者がけっして見失ってはならないものです。このビジョンは世界規模です。時を越え、連綿と後世に受け継がれていきます。

エルサレムからは東の「地の果て」にある日本の小さな教会の私たちも、この世界規模のビジョンの一端を担っています。また、それを次世代へと受け継がせなければなりません。礼拝も伝道も弟子訓練も1対1の聖書の学びも教会学校の活動も、そして今課題の会堂建設も、その一環です。

私たちはキリストを知っています。自分中心のちっぽけな願いを捨てて、大いなる神の約束を自分の願いとしていきましょう。小さな働きも神の国につながっています。