固執していませんか

最近テレビでよく見かけるようになった生物学者の福岡伸一さんが、著書『生物と無生物の間』(講談社現代新書)で、「科学者は自分の立てた仮説に固執する」と語っています。仮説と実験データが合わないと、実験結果が間違っていると考え、自分の思い通りの結果が出るまで実験を繰り返す、だから実験に多大な時間がかかるのだ、ということです。自分の仮説が誤りであることを認めるのは容易ではありません。科学者だからといって、必ずしも事実を冷徹な目で見られるわけではないのです。

先月、「ニュートリノは光よりも速い」という実験結果が出たというニュースが話題になりました。わずか60ナノ秒(1億分の6秒、ナノは10億分の1)速いだけなのですが、すでに確立されたアインシュタインの相対性理論を覆し、タイムマシンも理論上は可能になるそうです。発表した学者は、その実験を6か月間で1万5千回繰り返したといっています。それでも、もちろん疑問視する科学者も少なくありません。その疑問の理屈もなるほど思わせるものです。相対性理論の確かさに固執する学者、自分が1万5千回繰り返した実験に固執する学者。福岡伸一さんの本を読んだあとだと、どちらが柔軟になれるかなと思ってしまいます。これから、検証のためにまだまだ時間はかかるようです。さて、どんな結果が出るでしょうか。

学者に限らず、人間はだれしも頑固です。クリスチャンであっても、いつの間にか、自分が特別に体験し、学習し、感じ、考えたことにこだわってしまいやすいのです。心は、自分で思うほど自由で柔らかくはありません。聖書の言葉に従うと言いながら、いつのまにか自分の考え方に固執し、自分の理屈、基準、流儀を優先し、それに合わないものは無視する姿勢をとってはしまうことがあります。

神の言葉の前に何度も自分の思い込みや偏見を砕き、御言葉に沿って正していく柔らかで教えられやすい姿勢を失わないでいたいと思います。