暗やみの中に降りてくださった方

フィラデルフィアで冬に、川の氷が割れてゴールデンレトリバーが落ちてしまい、救助隊がそれを助け出すという内容の動画を観ました。冷たい水に浸かった犬は、氷に阻まれて前進できず、水で重くなった体を氷が支えられないため上がれず、どうしようもない状態で、ただ茫然という表情で川に浮かんでいます。

そこへ、救助隊がやってきます。零度を下回る水を、二人の人がかきわけ、行く手を遮る分厚い氷を銛で割りながら、少しずつ犬に近づきます。犬はその様子をひたすら見つめていますが、その視線の動かなさの中に、生きた目の光が徐々に戻るような感じです。

そして、最後の氷板を割り、ついに犬のところまで来ました。隊員が犬の首に手を回し、泳ぎながら岸まで引っ張ります。岸にいる人からは、「ゆっくり、ゆっくり!」という声が掛かります。ようやく岸までたどり着いた犬は、温かそうなタオルにくるまれ、車に乗せられました。

 「何でたかが犬一匹のために、人間の救助隊員がここまでするの」と思った人はいますか。イエスさまが私にしてくださったのはそういうことです。

御子イエスの誕生について考えるとき、私は「救助」のイメージを持ちます。私たちは神を知らないとき、自分の造られた意味も分からず、生きる目的も知らず、自分自身の罪と、汚さと、冷たさと、無力さの中で、動けなくなっていました。さきほどの犬のように、自分ではもうどうしようもない状態、このまま死んで滅びるのを待つしかない状態であった。そのようなとき、人はどうしたら助かるのか。それは、助ける力のある方が、自分のほうから、その冷たさの中に入ってきて、私のほうに来てくれることしか、方法がありません。

イエスさまは、父なる神の心に沿って、それをしてくださいました。天の王座から降り、私たちが自分で作り出したこの暗い冷たい世界にご自分から入ってきて、私たちを引き上げてくださったのです。

 イエスさまが、この罪だらけの世界にご自分から来てくださった。それがクリスマスの意味です。私たちを救うただひとつの方法を、選んでくださったイエスさまが、世界中でたたえられますように。(新田優子)